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すごいよ、伊能さん!

すごいよ、伊能さん!
教科別ポイント

こんにちは!映像教師の生川です。

今回は、私の尊敬する人物の一人 伊能忠敬 について。

みなさんもご存じ「日本地図を作った人物」です。

彼が日本地図を作ったきっかけや経緯をたっぷり紹介します!

 

 

伊能忠敬は、17歳で商人となり、家業を繁栄させました。

その後、50歳で家業を息子に譲ると、江戸を出て天文学者の高橋至時(よしとき)に弟子入りし、55歳から本格的に天文学と測量術を学び始めます

当時の地図は、旅人や役人から聞いた情報をもとに作られることがほとんど。

伊能は「自分の足で歩いて、正確な地図を作りたい」と考えるようになります。

 

学問を続けるなかで、伊能忠敬は

「地球の大きさをより正確に知るためには、緯度の違う土地で測量することが必要だ」

と考えます。

そこで目を付けたのが、日本の最も北にある蝦夷地(今の北海道)でした。

伊能は、本格的な測量の第一歩として蝦夷地の測量を計画し、幕府に測量を許可してほしいと申し出ます。

そのころの幕府は、北方から南下するロシアの動きを警戒していて、蝦夷地の正確な地図を必要としていたため、測量を許可することになったのです。

 

1800年、56歳の伊能忠敬は蝦夷地で本格的な測量を開始

すべて歩いて距離を測り、方位磁針で進む方向を確かめ、曲がるたびに角度を記録…

途方もない作業です。

さらに、夜になると北極星などの天体を観測して緯度を求めて、自分が地球上のどの位置にいるのかを確かめながら測量を進めました。

 

結果、こうして作られた地図はあまりに正確だったため、幕府を驚かせます。

伊能忠敬は、その成果が高く評価され、日本全国を測量して地図を作るように命じられます。ここから17年にわたる全国測量が始まるのです。

 

もちろん、北海道から沖縄まで一直線に測量したわけではありません。

海岸線や街道を何回も往復しながら測量をします。

その結果、17年間で歩いた距離は約4万km!地球をほぼ一周するほどの長さです。

当時は舗装された道路もなく、天候にも左右される中で

伊能は「正確な地図を作りたい」という一心で歩き続けました。

 

しかし、1818年、伊能忠敬は全国測量の途中で亡くなり、地図の完成を見ることはできませんでした。

弟子たちが、伊能が残した膨大な測量記録をもとに作業を続けます。

 

そして、1821年に「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」が完成。

この地図は幕府に提出され、その後、日本の行政や沿岸警備などにも役立てられました。

 

海外の研究者や関係者からも、この地図の精度の高さは評価されています。

現代の地図と比較しても誤差が少ないことが分かっており、この時代にこれほど正確な地図を作り上げたことは、世界的にも高く評価されています。

 

 

伊能忠敬は、才能だけで日本地図を作ったのではありません。

50歳を過ぎてから新しい学問に挑戦し、その知識を実際の測量に生かす。

そして、自分の足で歩いて地道な努力を重ねて、日本初の精密な全国地図を作成するという偉業を成し遂げたのです。

 

200年以上たった今でも、伊能忠敬の生き方は、「学び続けること」と「努力し続けること」の大切さを私たちに伝えてくれていますね。

 

 


★好きな食べ物★ お寿司、ナッツ類、ミニトマト

★趣味★ お笑いを見ること、モーニングめぐり、農園めぐり

見れば社会が好きになる!問題の解き方、資料の読み取り方はもちろん、その時知ってほしい知識や情報がてんこもり。覚えるだけで終わらない社会の授業に乞うご期待!

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